ニセコから来ていたGENTEMライダーのO-Mくんが、
「ここ良いグーフィーの波立ってるじゃないですかぁ〜」
どこ?
「あそこですよ…」
指差したところは、スノーボード禁止エリアのブルーコース。
そう、そこは小清水が1987年に初めてスノーボードで滑った思い出のコース。
初めて行われたGENTEMSTICKの関東エリアでの試乗会。
惜しくも、この週末、一つの時代も終わってしまった。。。
当時18歳、家に帰ると朝方までスケートボードで遊び、週末は海という生活をしていた高校時代。
その夏の終わりに高崎にスケートボードの店が出来たということで、スケート仲間と遊びに行った。
足も無い自分にオーナーがスノーボードに連れて行ってくれるというので、バイト代と父には内緒でと母からもらったお金を握りしめスノーボードとバインディング、そしてソレルを買った。
その後の自分の人生を大きく変えるきっかけとなった冬が始まった。
11月、当時オーナーが住んでいた本庄まで母に車で送ってもらった。
向かったスキー場は、丸沼高原スキー場。
シャレー丸沼の前にデリカを停めリフト券を買いブルーコースのリフトに乗る。
スキーもやったことがないので、リフトの乗り方も分からない。
上に着きスノーボードの滑り方とフォームを教わり滑り出す。
等圧で合板のスティック、キャンバーもなく後ろ足付近は急激なコンベックス形状。
真っすぐ滑ろうと思ってもエッジが噛まずテールが前になる、それをどうにかまたノーズを前に動かす。
どうにか滑る、いや降りることが出来た。
オーナーが、「小清水くん、うまいねー。もう滑れるからさぁー、他のコースに行こう」
オレをおいて現在のイエローコースの方へと降りて行ってしまった。
必死で追いかける、スピードがどんどん出る。
止まり方…教えてもらってない…怖い、怖い。
後ろ足を出してエッジを掛けようとしたが、そのまま逆エッジで斜面に叩き付けられ回転、転倒。
足首をやってしまった。
悔しい、やっとスノーボードやったのに、これで終了?痛みを堪えて少し滑ってしまった。
やがて痛みは大きくなり、ブーツを脱ごうとしても腫れ上がってしまい脱げない。
楽しかった。
悔しかった。
また滑りたい。
そのショップに通うようになり、スノーボードとスケートボードの友達がどんどん増えていった。
それがまた楽しい。
それまでの友達や仲間が出来る限られた世界から、広く大きな規模へと広がって行く楽しさ。
今の自分の”原点”がここから築かれていったのだ。
そう、その切っ掛けを作ってくれた”あの店”が先週末閉店してしまったのだ。
当時は、スケートボードもスノーボードも埼玉にも群馬にも売っている店は無かった。まして一緒に遊んでくれる人なんて。
あの時、あの時代、あのタイミングでスノーボード(当時はスノーサーフィンとも言われていた)に出会えて良かった。
滑り方も、遊び方も未知数だった時代。
スノーボードの本質、人によってはそんなことどうでも良いことかも知れないけど、
自分にしてみたら、これが一番大切なこと。
どんな時代が来ようとも、その本質からブレないように、この楽しい遊びを伝えて行こうと思う週末となった。
ありがとうございました。
帰りは、GENTEMチームとRELAXユーザーと一緒に、あの熱いお湯の加羅倉館へ。
当時、120号で沼田までの間にはほとんど温泉が無かった時代、冷えた体をいつもここで温めて帰った。
そして、夕飯は竹屋で釜飯。
やっぱうまいよ。
釜飯も、唐揚げも焼き鳥も。
残念なのは、つくねが無かったこと。
GENTEMチームのみんなもまた食べたいって笑顔でお別れ。
来年もまた釜飯目当てで丸沼試乗会やりそうだね。
みなさんお疲れさまでした。
あっ、GENTEMSTICKのオーダーお受けしています!
2009.04.01/Wed - 18:33|こしみず日記