今は未来。
子供の頃、夢見て想像していた 21世紀の未来。
1969年、この家に生まれた頃、砂利道だったこの道。
道沿いには四軒長屋が立ち並び、長屋と長屋の間には細い路地が張り巡り、まるで迷路。
隣には肉屋さん、その向かいに八百屋さん、半径200メートルに駄菓子屋3軒、そのさきに魚屋さんも洋品屋さんも。
そこはぼくら子供たちの恰好の遊び場、鬼ごっこやいたずらなどをして育っていった。
80年代中頃、開発中の駅ロータリーでスケートボードで遊んでいた頃、ちょうどバブルのとき、それまで無かったビルがその周りに建ちはじめた。
でも、それは数年で止まった。
ビルの窓にはテナント募集の文字が 。
2000年を過ぎたあたりからだろうか、まわりにあった家が壊されていき、そこは空き地や駐車場に変わっていった。
ここだけじゃない、駅から17号、それも越えて昔は住宅地や商店だったところがどんどんこんな感じになってきている。
あんな遠くまで見える、ここからあそこが見える…
そして、この1、2年はそれの加速度が増しているように感じる。
風通しのいい街になってしまった。
空き地ができて、子供たちの遊ぶ場所が増えたかのように思うけど、そんなところで遊ぶ子供たちの姿は今はない。
何をして遊んでるんだろう。
駐車場でスケートボードしようとしても、路面は荒れ果て、そんな状態では遊べない。
自転車の練習をさせる場所も見つからない。
自分の子供にも何をさせて遊ばせたらいいんだろうか。
これが未来、現実。
今を生きる子供たちは、どんな未来を想像しているんだろう?
あのころのように、未来を想像する絵なんか描いたりするのかな?
自分たちの考えていた未来っていう言葉には夢や希望というものがあったと思う。
今の子供たちは…
そんな子供たちがどんな大人になるのか?
自分の子供だけどう育てるという問題でもない。
とても、とても心配です。
この国の将来が。
全ては、今を生きる、そしてこれまでを生きてきた大人である自分たちが選択してきたのが今。
政治が悪い?その政治家を選んで来たのも自分たち。
これが現実。結果。
それまでを生きた自分たち、今思えば夢を抱くことができた幸せな時代を過ごすことができた世代なのだろう。
幸せって、そのとき感じるものではなくて、過去をふりかえって初めて気がつくのかも知れない。
だからこそ、今を楽しく、そして正しく純粋に生きていくことが大切なのでは。
夢を見ること、見続けること。
行き先を決めないでただその場しのぎで、右に曲がったり左に曲がったり。
行き止まりだってある。
無駄に燃料使って20年もの間走り続けているだけのこの国。
先ずは、夢でもいいから行き先を決めることが必要だと思う。
夢や目標がもてないなら、高性能ナビを国民が選ぶ権利が欲しい。
数十年後にふりかえって、あのときはよかったと思える人生を今日も明日も明後日も。
それが語り合える仲間たちをたくさんつくり、今を生きたい。
いつかはこの道沿い、うちしか無くなってしまうんじゃないか…
いやうちが無くなっちゃうのかな?